感謝(当たり前のことに感謝し合う)
日本語の中でもっとも美しい言葉は何かと聞かれると、「ありがとう」をあげる人が多いそうです。
「ありがとう」という感謝の言葉は、言葉を交わす双方にとって、なるほど美しく心に響く言葉です。
この「ありがとう」は、漢字では「有り難う」と書けます。
すなわち「有ることが難しい」、意味としては、「当たり前のことではない」になります。
普通、人は当然のことには感謝しません。
自分にとって当たり前でないことに対して、有り難く思い、感謝するのです。
感謝のできない子どもは不幸です。
感謝できない子どもは、いろいろなことをしてもらって当たり前だと考えています。
してもらえなかったら、不平不満を言って、泣いたり怒ったりすることもあります。
たとえば、車で学校への送迎をしていてもらって「ありがとう」の一言も言えない子どもは、それを当たり前だと考えています。
しかし、それは決して当たり前のことではありません。
三度の食事ができること、洗濯された衣類を着ることができること、元気に学校に行けること、そんな日常的で一見当たり前のことが私たちの生活にはいっぱいあります。
しかし、それらも本当は決して当たり前のことではありません。
こういう日常的なことでも、よく考えれば自分だけの力でできるものではないのです。
いつも、誰かのおかげで、できるのだということを気づかせるべきです。
目には見えないけれど、多くの人のおかげで、毎日の生活を送ることができているのだと、教えるべきです。
まず、私たち大人が日常の当たり前のことに感謝できるようになりましょう。
親が家庭でも外でも、「ありがとう」と感謝できるのであれば、子どももできるようになります。
両親が互いに「ありがとう」と言い合っている家庭では、子どももお父さんやお母さんのしてくれたことに対して自然に「ありがとう」が言えます。
考えてみれば、私たちは生まれたときから、いろいろなものをいただいています。
この体も、この心も、この能力も、この人生の一ページである今日という日も、すべて自分で作り出したものではなく、いただいたものです。
たったひとつしかないこの命も、いただいたものです。
できれば感謝を心の習慣としたいものです。
習慣化できる時は、食事の前後、夜寝る前など、いくらでもあるのではないでしょうか。
「今日もおいしいごはんを食べられて感謝します」
「今日も良いことがありました。ありがとうございました」
感謝できる人は、幸せです。
感謝できるほどに、幸せになれるのです。
当たり前のことに感謝させよう。