「責任感」目に見えるものにする
人間は生まれながらに自由な存在です。
子どもは、親の保護のもとに置かれ、まだ未成年ですのでいろいろな制限がありますが、誰でも自由という基本的な人権をもっています。
しかし、自由を人権として主張するあまり、自由の乱用をするようでは困ります。
自由を乱用する人は、自分のワガママを押し通そうとして、他人に迷惑がかかることを顧みません。
交通ルールを無視して反対車線を走る暴走族とはいかないまでも、電車やバスの車内で自分勝手に走り回ったり、騒いだりする子どもは、自由を活用しているのではなく乱用しているのです。
私たち大人は、子どもに与えられた自由を活用できる人に育てる役目があります。
自由を活用できるためには、子どもたちに「責任感」という徳を教えることが大切です。
「自由と責任」は、ワンセットで教えるものなのです。
子どもたちに「責任感」と言ってもわかりませんから、できるだけ具体的にしましょう。
「責任感」を目に見えるものにするのです。
たとえば、皿洗いのお手伝いをしてくれたときに、子どもが一枚皿を割ったとします。
「あら!まあ、お皿割ったの!?しょうがないわね、しっかりお皿をもっていないからよ。もう、いいから、いいから。割れたものをさわったら、ケガするわよ。後はお母さんがするから、部屋に行って勉強してちょうだい」
こう言われると、子どもは失敗して落ち込んでいるのに、ますますがっかりし、「ああ、お手伝いなんかするんじゃなかった」と思ってしまいます。
もちろん、自分の部屋に入っても勉強なんかする気になれません。
子どもが失敗したとき、それは本人もよくわかっているので、そのこと自体を叱ったは子どもが傷つき意気消沈するだけです。
失
敗からすぐに立ち上がり、責任感をもって対処できる人に育てましょう。
たとえば、こういうふうに言うのです。
「まあ、お皿割ったの?じゃあ、きちんと片付けておいてね。手を切るかもしれないから、軍手をかしてあげようか」
必要なら、「手伝ってあげようか」と断った上で本人が望むなら手を貸してあげてもいいでしょう。
しかし、あくまでも責任をとる主体は、子ども本人です。
片付けが終ったら、「きちんと片付けられたね。責任感があるね」と言ってあげましょう。
1.任されたことは最後までする。
2.自分の失敗は、自分で償う。
そのような責任感を日常生活の中で、具体的に教え育てましょう。
自分の仕事は最後までやらせよう。