心を育て徳を身につけると幸せになれる
心を育てることは、幸せのタネを育てることです。
子どもが将来幸せになったほしいと望むのなら、学力を伸ばすのと同じくらい、いやそれ以上に心を育てることに関心をもち、力を注ぐべきです。
よい心がけから生まれたよい行いは、その人の心を育てます。
よい行いが習慣化すると、その心がけはその人の徳になります。
徳が身についた人は、幸せになれます。
たとえば、他人の悪口を言わない人は、それだけでみんなから好かれます。
たとえば、人によく感謝する人は、それだけでみんなから喜ばれます。
たとえば、イヤなことがあってもガマンして自分の夢をあきらめない人は、多少の困難にめげずに自分の目標を次々と達成できます。
子どもの将来を考えるのなら、心を育て、徳を養うことはとても大切なことなのです。
でも、子どもの心だけを育てようと思っていてはうまくいきません。
まず、大人である私たちが自分の心を育てることに目を向けるべきでしょう。
数年前、ある会の会長さんから、生まれて初めて講演を頼まれたときの話をします。
その会は、「だれもがもって生まれたすばらしい心を磨き出し耕すために、月一回、宗教の枠にもとらわれずに多分野の講師の方のお話を聞く」ことを目的としてます。
テーマは、「何でもいいです」と言われたので、「心を育てる」としましたが、「子どもの心」ではなく、「自分の心」を育てる、という内容にしました。
会は、平日の午後七時から始まる集まりで、しかも、参加費を払わなければなりません。
当日は師走の冷風が刺すような肌寒さで、足元が暗い上に夕方からの雨がやみません。
こういう状況で、「心を磨き出し耕すために」わざわざ会場まで足を運ぶ人は、いったいどんな方々だろうと楽しみでした。
参加された方はやはり、よい聞き手でした。
私の話は下手でしたが、一時間半もの間、話者をしっかり見て聞かれて、要所要所でメモをとり、悲しい話には泣き、楽しい話には笑われていました。
その姿を見て、私の方こそ感動し、心洗われる思いがしたものです。
昨今、教育界では、子どもの心を育てることに力を入れていますが、本当は教師や親が自分の心を磨き育てることこそ大事なのです。
自分が人に優しくしないで、どうして子どもたちに思いやりをもてと言えるでしょう。
自分の弱さと戦わないで、どうして子どもたちに強くなれと言えるでしょう。
自分が一生懸命しないことを、どうして子どもたちにガンバレと言えるでしょう。
帰りの車の中で一人になると、自然とわが身を顧みずにはいられませんでした。
私は子どもたちの望むほどに自分の心と向き合いったきたのだろうか。
降りしきる雨の音が、なぜか心地良く響きました。
話をしに行って心を磨かれ育てられたのは、私の方だったのです。
まず、自分自身の心を耕し育てよう。