以前、教職在職中に研修会でお世話になった先輩のH先生からメールといただきました。
H先生は、ある都市の私立小学校で長年、図画工作を教えられ、定年退職。現在は乞われて公立の小学校で教えていらっしゃる図画工作指導の大ベテランの先生です。
他の教科でもそうですが、図画工作の時間に生まれる子どもたちの作品は、教師の力量によってまるで違ってくるものです。H先生が指導された学校の子どものたちの絵は、どれも素晴らしく、全国レベルの賞をまるで当たり前のように受賞していました。
メールをいただいたとき、これは皆様にご紹介したい内容だと思いました。大ベテランであるH先生のお話は、教師はもちろん親にも共感でき、子どもと接するうえで参考になると感じたからです。
「うちの子は救われました」と感謝された指導
ご無沙汰しています。ますますご活躍ですね。
講演会にも行かず、本の注文もしていないのですが、いつも静かに「心の糧」を読ませていただき、中井先生のお仕事の様子を感じています。
作家活動、講演、読者との相談・・・・・など全国レベル(いや、世界レベルかな)での活動に驚きと感服の気持ちでいっぱいです。
「心の糧」の内容を自分の生活に照らし合わせて、「なるほど、そうだ」と思ったり、「そうだな、やっぱりそうすべきだ」と参考にさせていただく毎日です。
昨年3月で○○を退職し、全く縁が切れました。
在職中に充分にやれなかった絵画制作やスケッチを思い切ってやろうと思っていましたところ、公立学校からゲストティチャーの話がどっと押し寄せ、現在4つの学校に図工の授業に行っています。
授業を進めながら自分が○○小時代とは少し違った気持ちにシフトしていることに気付きました。
特に意識しているわけではありませんが、○○のときは、私学としてのレベルを上げようとか保とうという気持ちがあったなあと今になって感じています。
現在行なっている授業では、もちろん良い作品をという気持ちはありますが、それと同時に図工の楽しさを味わわせたいとか、自分の持ち味(個性)に気付かせたい、図工学習で自信を持たせたいという気持ちが強くなってきました。
先日、訪問先の校長先生が、「先生、保護者からこんな手紙が来ました」と嬉しそうに知らせてくれました。
そこには、「今まで成績が振るわず、何事にも自信がなかったうちの子が、先日の図工の時間の後、今まで見たことがないような表情で帰ってきました。・・・中略・・・うちの子は救われました」ということが書かれていました。
校長先生は、「これこそ、先生に来ていただいた本当の意味がありました」といわれました。
もちろん私はその子をやみくもに褒めたのではなく、その子の中で一番光っているところを見つけ出して、そこを教えたのです。
クラス全体での絶対評価をすれば褒めるところはないかもしれませんが、その子の作品の中で「どこか良いところはないか」と美意識と愛情を持って見れば必ず見つかるものです。
このことは先日読ませていただいた「心の糧」に、
「教職は目的ではなく、教える子どもたちに喜びや幸福感を与えるための手段である・・・」という意味のことが書かれていましたが、現在の私の気持ちそのものなのです。
「○○時代にこのことがもっと出せていたらもっとえらくなったかも・・」と思いますが、これは公立学校という環境に変わって初めて気付いたことであり、私なりの進化かもしれません。
もしも○○小ですべてが終わっていたら気付かずにすんでいたことでしょう。
そんなこともあり、教育環境に厳しさはあるものの、現在は教育に対する充実感や、やりがいさえ感じています。
中井先生の「心の糧」は、私に共感や勇気を与えてくれているということをお知らせしたくて久しぶりにメールを出すことにしました。
どこが良いのか、真剣に探す
さて、H先生からの2つ目のメールです。
さっそくのご返事、有難うございました。
自分の実践がお役に立てるなんて、こちらの方が感激です。
毎日の授業で子どもたちの反応など、感激したり笑い転げたり、第二の人生といったら大げさだけど、本当に楽しいのです。
教員仲間の多くから、
「先生は退職してからの方が生き生きしていますね」
なんていわれますが、そうなのかもしれません。
前のメールで書いてたことの補足ですが、 「ほめる」ということで「やみくもにほめない」といっているように、私の場合、ほめるポイントをしっかりつかむということに全精力を注いでいます。
世間で「ほめて育てる」とか、「ほめろ、ほめろ」などということがよく言われますが、子どもたちは「先生は、私たちにやらせようと思ってほめている」とか、「おだてている」といって意味のないほめ方にはすぐに気がつきます。
最近の教育界に評価が甘くなったような傾向がありますが、私は意味のないほめ方や評価のインフレには反対です。
その子の作品の中で、どこが良いのか、人にないこの子の持ち味(個性)は何なのか、ということを自分の美術教育経験、美意識などを生かしながら真剣に探すようにしています。
実例をもうひとつ。
図工の時間に机間巡視をしていると、時々作品(絵)をかくしたがる子がいます。
つまり失敗して汚くなったので、先生や友達に見られたくないためです。
それを、「こんなに汚くして、先生がちゃんと言ったでしょう・・・」と叱ったのでは何の効果もありません。
子どもにしてみれば、自分でも失敗したと思っているのに、さらに駄目押しされるのですからたまったものではありません。
つまり全く教育にはならないわけです。
そこを「あなたはこうしようと思ったんだね、うまく行かなかったようだけど先生はわかってるよ、でも心配することはないよ、ここをなおすのにはね・・・」と言えば泣きそうだった子どもの顔がだんだんと輝いてきます。
この表情の変化を見る喜びは何ものにも代えられません。
美術教師ならではの喜びです。
学生の時から現在まで約46年ほど絵画作品の公募展出品を続けていますが、作品を見るセンスが子どもの作品の良さを見つけることに役立ち、制作技術が子どもの失敗を回復させる指導に役立ちます。
専任だった頃、校務に追われて時間がなく、何度やめようかと思いましたが、今になって続けて良かったなあと思っています。
今後も中井先生の「心の糧」を(黙っていても)楽しみにしています。
では、H先生のお便りから学べることを私なりにまとめてみます。
H先生のメールから学べること
【「ほめる」ことに関して】
1.成績が振るわず、何事にも自信がなかった子は、(それだからこそ?)何か1つでもほめられることで救われる。
2.その子の作品の中で「どこか良いところはないか」と美意識と愛情を持って見れば必ず見つかる。
3.失敗した子には、理由を捜して理解してあげる。
H先生のメールから学べること【番外編】
1.教師が子どもをほめると、子どもが変わる。親もその変化を見逃さないで、喜ぶ。そして、感謝を表わすと、教師はますます教えることに生き甲斐を見出せる。
2 教育は、教師と子どもの「共育」
教育は、親と子どもの「共育」
教育は、教師と子どもと親の「協育」
最後までお読みいただきありがとうございました。