清貧(物に執着させない)
清貧の徳は、物を持たないことではなく、執着しないことです。
もっているものは、大切に使うことです。
私が勤めていた学校では、清貧が月のモットー(努力目標)のときは、帰りの会で次のような糾明します。
1.持ち物に名前を書いていますか。
2.身の回りの物の整理整頓に心がけ、自分の持ち物を大切に扱っていますか。
3.机や椅子、教室の備品、そうじ道具など、公共物をていねいに扱っていますか。
4.必要のない物や値段の高い物を買ったり、欲しがったりしていませんか。
この中で、4番目は意外と難しいことです。
というのは、金銭がからむときは、子どもよりも親に責任がある場合が多いからです。
戦後、世の中は物質的に豊かになり、子どもたちは労せずして高価なものを手にでき
るようになりました。
少子化の影響で、ますますその傾向は強まっているようです。
まず、祖父母が可愛い可愛い孫のために何でも買い与えてやります。
普段子どもと接触する機会の少ない父親がその埋め合わせとして、ついつい買い与え過ぎてしまいます。
あるいは受験競争に勝つことが幸福だと信じる母親がお金や物を使ってに学習意欲を引き出そうとすることもあります。
「今度のテストの点が上がったら、〇〇を買ってあげるよ」と。
こうして育つ子どもは、一時的には喜びの表情を見せるでしょう。
しかし、将来的に、子どもを本当に幸福にするでしょうか。
気高い精神をもたず、物で動かされる人間をつくっていくのではないでしょうか。
最高の教育を受けてきたはずのエリート官僚が、金と欲にまみれ汚職を繰り返す事件があいついで摘発されてきました。
大和撫子と言われ、慎み深さそのものであった日本女性が、今や小遣い欲しさに援助交際を繰り返えすようになりました。
富やお金は人を完全に幸福にすることはできません。
人の心は物質への欲求に完全な満足を見出すことはなく、富やお金に執着する人は、いつまでたっても満たされない思いを引きずっていくのです。
物やお金がなくても、あっても、幸福になれる子どもを育てましょう。
心が物欲に支配されず、より自由となり幸福を味わうことができるように、清貧の徳をみがくのです。
お金はあったほうがいいですが、多くもたなくても人は幸せにはなれます。
物も必要ですが、多くなくても人は幸せになれます。
まず、わが家を幸せな家庭にしたいものです。
物で子どもを動かさない。