聖書には、「受けるよりも与える方が、幸いである」という言葉があります。
与えてもらうばかりで、与えることをしないで育つ子どもは不幸です。
子どもに限らず、多くの病人、お年寄りの不幸は、社会に対して与える機会を失い、もはや自分が社会から必要とされなくなったと思い込むことにあります。
人間は、自分は少しも社会の役に立っていないと思い込むことから、生きがい感がなくなるのです。
子どもも同じです。生きがい感に乏しい子どもは、自分の存在がみんなのために役だっている、喜ばれているという実感に乏しいのです。
「勉強、勉強」と要求され、モノやお金はたっぷり与えられますが、他の人のために、汗水たらし時間や労力を使って働いて感謝された経験が少ないのです。
人から感謝されると、生きがい感が生まれます。
ああ、自分でも役に立っているんだなという喜びにつながります。
そこで、提案ですが、子どもに何かボランティア活動をさせられないでしょうか。
近所のゴミ拾い、掃除、施設訪問、病院慰問、体の不自由な方の介助活動など、子どもにできることは多いのです。
たとえば、私が勤務していた学校では、クラスごとに病院や老人ホームまで劇を観てもらいに行っています。
子どもの劇ですから、決してうまくはありませんが、どこに行っても喜ばれます。
老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんは、シワシワの顔をさらにシワクチャにして、「よく来てくれた」と喜んでくれます。
終わった後は、両手で子どもの手を包み込み、車椅子からおじきをして、「ありがとう。ありがとう」と泣いて言ってくれます。
それを見て、子どもたちはびっくりしながら、とても感動するのです。
「おじいちゃんやおばあちゃんがとてもうれしそうでした。だから、ぼくもうれしくなりました」というような感想を書きます。
慰問に行って、元気になるのはむしろ子どもたちの方だというくらい、子どもたちは元気になって帰っていきます。
「劇の中で、自分は小さな脇役だったけれど、自分がいたから劇はできた。そして、みんなでがんばったから、おじいちゃんやおばあちゃんが涙を流すくらい喜んでくれた」
その事実にとても勇気づけられるのです。
近くの川や公園のゴミ拾いでもいいのです。被災地で困っている人への手助けも何かできるかもしれません。
ボランティア活動では、与えた方も多くを受けます。
与えたもの以上のものを受けるのかもしれません。
そして、それは確実に子どもの心を豊かにし生きるエネルギーとなるのです。